2025.2.2礼拝「信仰とは何か」宣教 水野英尚 ローマの信徒への手紙4章1~5節

 聖書は、旧約聖書と新約聖書の二つの集合体から成り立っています。近年は、聖書の文書が書かれた背景や言葉の意味を調べるといった、歴史的な文献としての研究が進み、聖書に書かれている著者が一体何を伝えようとしているのかを、古代から現代という数千年の時を乗り越えて、ある程度正確に知ることができるようになってきていると言えます。 しかし、いくら聖書を歴史的な文献として研究し、その内容がある程度理解できたとしても、それで「聖書が分かった」と言うことにはならないと思います。なぜなら、聖書は客観的な研究をする書物として読んでいても、その読み手の「心」には届かないからです。つまり、聖書は「信仰の書物」なのであって、聖書の語りかけに対して客観的に観察していては、過去のこんなことがあった、こんなことを言われていたというような、歴史の出来事で終わってしまいます。ですから、聖書が分かるためには、この語りかけが私に向かってなされている、向こう側からのメッセージである「みことば」として聞いたとき、きっと「聖書がわかる」という体験をするのだと思います。