2025.8.31「キリスト者」宣教 三上梓 使徒言行録 11章19~26節

「わたし」って、誰だろう?「あなた」って、誰だろう? 夏に出かけていき、出会いと気づきの機会を多くいただいた中で、「主語の大きさ」について思い巡らしています。
 使徒言行録11章には、「このアンティオキアで、弟子たちが初めて”キリスト者”と呼 ばれるようになった」との文章が記されています。「キリスト者」、つまり「クリスチャン」と呼ばれるときに、わたしたちはどのような思いを持つでしょうか。
 ステファノへの迫害という具体的な出来事とその後のバルナバの行動という具体的な動きの中で、「キリスト者」という人たちに対する眼差しが培われていきました。その記録が、教会の歩みの起点・原点に近いところに書き残されている、という事実にしっかりと目を向けていきたいのです。 「自分は何者であるのか」という”立ち方”と同時に、「自分は何者として見られているのか」という”立たされ方”もまた大切なテーマなのだと感じています。