2025.9.7「憐れみの器」宣教 水野英尚 ローマの信徒への手紙9章19~33節

 前回は、「神の選び」について学びました。今を生きる私たちにとって、国家としての「イスラエル」が、パレスチナ地方に元々住んでいたアラブ系の民族を強制的に押しやり、テロリストへの報復を叫びながら「民族一掃」と言わんばかりの無差別攻撃を繰り返していること、武器を持たない者たちが逃げ惑い、食料が無くあえぐ状況で、聖書が語る「イスラエルの選び」とは、実に「ガザの民の選び」として捉えるべきではないかと思います。「神の選び」の課題は、それをはき違えてしまう人間の側の問題であり、その選びとは、人間の側が優越に浸ることができるような「選び」でなく、圧倒的に小さく、誰よりも弱い「イエスらエルの民」を選ばれたように、神の選びの基準は、苦しみ、悲しみ、悲嘆に暮れている者、そうした者たちへの痛みの共感から、憐れみたい者を憐れみ、悲しみに打ちひしがれ、どうしようもなく慈しまざるを得ない者たちを慈しむ。それが、神の選びだと私たちは受けとめていきたいと思います。
 さて、今朝は、「神の義」や「神の主権」ということから、「神の憐れみ」に注目していきたいと思います。