2025.10.12「恐れから畏れへの接ぎ木」宣教 水野英尚 ローマの信徒への手紙11章13~24節
パウロは自らがユダヤ人であるとして、心からの願いがありました。それは、ユダヤ人同胞がイエスを受け入れてくれることであり、異邦人がキリスト者として豊かに歩む生き方をみて、ユダヤ人が救いの道を見いだして欲しいということでありました。しかし、目の前の出来事は、「彼らの捨てられることが、世界の和解」として、福音がユダヤ人の枠を超え、異邦人の所に届けられているのであり、もはや福音は、世界の和解へと繋がり始めていました。 パウロにとって、同胞であるユダヤ人が受け入れられることは、イエスが復活されたこと、イエスが死者の中から命へと復活されたことと同じではないか、死んでいた者が復活する、神の業とは、神の恵みとは、その命にあずかることのはずだ、だから、神はユダヤ人を捨てたままにしておかれない、必ず受け入れてくださる。復活の命に、その信仰に生きる者としてそれを信じることができるのではないか、そうパウロは語るのです。こうした「ユダヤ人問題」を私たちはどのように受けとめることができるでしょうか。


