2026.4.5「終わりは始まり」宣教 水野英尚 ローマの信徒への手紙16章25~27節

 イースターおめでとうございます。イエス・キリストの復活を共に喜びたいと思います。 それぞれの福音書では、復活されたイエスの姿をリアルな形で、「ザ、復活」として描いていなように思います。そもそも、復活のイエスに出会っても、イエスだと気づかない場面として描かれます。墓の前で泣いていたマグダラのマリアにイエスは現れます。ところがマリアは、それがイエスだと分からないのです(ヨハネによる福音書20章11節~)。また、弟子の二人が道すがら歩いていると、いつのまにかイエスが歩みを共にします。しかし、二人はそれがイエスだとは気づきません(ルカによる福音書24章13節~)。つまり、見ているのに気がつかない、出会っているのに分からない。しかし、後からそれがイエスだとわかる。「ああ、あの時、復活の主に出会っていた」そのようにして分かる。後ろを振り返ったとき、そこにイエスが居られたこと分かる。歩みを共にしていた見知らぬ人が、後から復活の主だと分かる。復活の主との出会い、復活の出来事とは、そのような事なのだと聖書は語っているのではないでしょうか。