2024.5.5礼拝「使い方を考える~一人の女性の行為」宣教 水野 英尚 マルコによる福音書14章1~9節
「わたしたちの社会のあり方を傷つけてきたのは、『坂の上の雲』を望んで懸命になって『手に入れた』ものを、『使い方』をとんでもなく間違えて、『坂の下の穴』に放り込んできた歴史です。今日ひろまっているような時代の閉塞感、社会の空気の滞った感じは、『もっともっと手に入れる』哲学がもう望めなくなった失望感からでなく、『使い方』の哲学をまだまだ見いだせないでいるところからきているのではないか。お金の『使い方』から、言葉の『使い方』、時間の『使い方』、人生の『使い方』まで。いまは『使い方』がずさんになって、そのことが、おたがいのあいだの心のありようを粗雑にしているということを考えます。」
(長田弘著『なつかしい時間』より) どう使うのか、何に使うのか、そういう哲学をもった文化となる価値観の転換が必要だと、詩人の長田弘さんは語ります。この時代それが大切なのだと彼の遺言のように響いているように感じます。「名もなき一人の女性」のした行為とは何であったあったのか、ご一緒に学びたいと思います。