2024.5.19礼拝「主の晩餐~いのちに生きる食事~」宣教 水野 英尚 マルコによる福音書14章22~26節

 私たちにとって生きるために欠くことのできないものは何でしょうか。それは「食べる」ということです。教会に行かなくても、死んでしまうことはありません。もし、教会に行かないと必ず死ぬとなれば、誰もが教会に行くことになるでしょう。しかし、だれもが食べなければ死んでしまいます。
 聖書には「食べる」ということに関しての出来事が至る所に登場して来ます。そして、「食べる」ことの最も象徴的な出来事として描いているのが、新約聖書の「福音書」です。イエスは、当時賤(いや)しいとされ、差別され、抑圧の対象となっていた人たちの所へ、イエスの方から出向いて積極的に食事をされます。そのような人たちの悲しみ、痛み、苦しみ、その多くは社会における「人間の罪」の故であると言えますが、彼・彼女たちを罪のしがらみから、縄目から、解き放ち、解放していく行為としての「食事」であったと言えます。イエスの食事とは、「赦しと和解の食事」であったと言えるのではないでしょうか。そして何より「主の晩餐」は、私たちにとって、本当のいのちに生きるために決して欠くことのできないものであることを覚えたいと思います。