宣教
2025.9.14「救いとは何か」宣教 水野英尚 ローマの信徒への手紙10章1~13節

 今朝のテーマは「救いとは何か」です。パウロは、ここで全ての人が救われると語ります。そして「救い」は、イエス・キリストの十字架と復活において完成しており、「誰が天に上り」「誰が底なしの淵に下るか」などと語り合うことはナン […]

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2025.9.7「憐れみの器」宣教 水野英尚 ローマの信徒への手紙9章19~33節

 前回は、「神の選び」について学びました。今を生きる私たちにとって、国家としての「イスラエル」が、パレスチナ地方に元々住んでいたアラブ系の民族を強制的に押しやり、テロリストへの報復を叫びながら「民族一掃」と言わんばかりの […]

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2025.8.31「キリスト者」宣教 三上梓 使徒言行録 11章19~26節

「わたし」って、誰だろう?「あなた」って、誰だろう? 夏に出かけていき、出会いと気づきの機会を多くいただいた中で、「主語の大きさ」について思い巡らしています。  使徒言行録11章には、「このアンティオキアで、弟子たちが初 […]

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2025.8.24「神に選ばれた者たちの声」宣教 水野英尚 ローマの信徒への手紙9章1~18節

 今朝の聖書で「神は御自分が憐れみたい者と思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされる。」とあります。事のすべては、神の主権の内にある。という事なのですが、このように聞きますと、どこかスッキリとしないと考え […]

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2025.8.17「すべてを超える愛」宣教 水野英尚 ローマの信徒への手紙8章 31~39 節

 2017年にノーベル平和賞を受賞した平和活動家のサーロ節子さん。彼女は、13歳の時に広島で被爆しました。建物が崩壊し、崩れた瓦礫に埋もれ、同級生たちが「お母さん、助けて。神様、助けてください」と、かすれる声で叫んでいる […]

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2025.8.10「平和を歌おう」宣教 麦野達一(福岡西部教会牧師) 詩編 122編 1~9節

 かたえ教会での礼拝にあたり、心から感謝申し上げます。8月は平和を深く考える月です。1945年8月15日の日本の敗戦から80年が経ちますが、世界から戦争は無くなっていません。ニュースで報じられる悲惨な出来事は断片的なもの […]

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2025.8.3「霊のうめき~その助け手~」宣教 水野英尚 ローマの信徒への手紙8章26~30節

 私たちが心地良いとき、楽しい時には、「うめき」というものは出てきません。悲嘆に暮れる時、悲しみに沈むとき、悩み苦しむとき、そのような時に、私たちは「うめく」のではないでしょうか。批評家の若松英輔さんは、そうした私たちの […]

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2025.7.27「神の視野の中で」宣教 三上梓 使徒言行録 10章9~16節

 神がペトロに対して示した幻(ヴィジョン)は、教会という共同体が目指すべき姿に関連しています。神が清いものと見做している存在・対象があるはずなのに、私たちは人の目と人の感覚で何かを汚れたもの・ふさわしくないものととらえて […]

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2025.7.20「被造物の呻きに耳をすます」宣教 水野英尚 ローマの信徒への手紙8章18~25節

 「被造物は虚無に服している」とパウロは語ります。創造主なる神によって造られた「被造物」、その全ては神の意志によって「虚無」に服していると言うのです。「虚無」を辞書で引きますと、1 何物もなく、むなしいこと。空虚。2 こ […]

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2025.7.13「アッバと呼べる関係性」宣教 水野英尚 ローマの信徒への手紙8章12~17節

 「アッバ」という言葉はアラム語だと言われます。幼い子どもが父親を呼ぶときに発する言葉だそうです。ですから、「父ちゃん」とか「パパ」と、理解されてきたように思います。しかし、「親しみ」というよりも「信頼」ということが強い […]

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