2024.11.10礼拝「自然と不自然を思う 」宣教 水野 英尚 ローマの信徒への手紙1章24~32節

 神は、人間をそれぞれの自らの心の内に「まかせられ」たとパウロは語ります。すなわち、人間は自らの考え、想いによって、自由に判断し、選び、歩むことが出来る。それが、神による人間の創造の業なのでしょう。私たちは「自由」です。「人権」という言葉があるように、人間が人間として持っている権利であり、それは何ものにも束縛されてはなりません。神が人間に「自由」を与えた、だから人間は己が思うままに生きて良い、そのように神が「任せられた」のだと言えます。しかし、そこまでは良いでしょう。その結果としてどうなったのか。パウロの言葉は続きます。 「そのため、彼らは互いに体を辱め、神の真理を偽りに替え」てしまった。人間に与えられた「自由」によって、そのような事態になってしまった。人間は欲望に走り、利己的になり、神の創造における尊厳を台無しにしてしまった。だから「神は怒る」のだ、そんな堕落した人間界を「裁く」ために、「神の怒り」を発令させる。そんな短絡的なことではありません。「神の怒り」とは、そのようなことではないのです。