2025.1.12礼拝「キリストの信によって 」宣教 水野英尚 ローマの信徒への手紙3章21~26節

 皆さんは、何か困った時、「助けて欲しい」とすぐに誰かに言えるでしょうか。私は困った時に、「手伝って」となかなか声に出せない自分が居ます。きっとそれは、自分の弱みを見せること、弱音を吐いているようで、自分のプライドとか、自尊心が頭をもたげてくるから、素直に「助けて」と言えないそんなことではないでしょうか。
 先日の朝日新聞の天声人語で、医師の吉田穂波さんという方がこんなことを書いてありました。 「東日本大震災のときだった。支援に駆けつけた避難所で、妊婦の被災者から申し訳なさそうに言われた。『私なんか、命があっただけましです。どうか他の人を助けてあげてください。私はいいんです。』人間とは限界近くまで窮すると、かえって誰かに頼れなくなるものなのか。助けてと口にすると、その瞬間、頑張っていた何かがポキリと折れてしまうからだろうか。~何かを頼む力を表す『受援力』という言葉がある。頼ることは相手を信頼し、尊敬する証です。重い障がいがあった俳人の新年の一句が頭をよぎる。『生きるに遠慮が要るものか』」